ピロートーク

 彼女が僕に何を求めていたのか。それを知ることは今となってはとても難しい。

 「もしも、もっと近くにいたら、考えてくれてた?」と彼女は尋ねた。
 「さあ」と僕は答えた。

 それは実にひどい答えだったと思う。でもそのとき僕は本当にわからなかったのだ。僕は反実仮想が苦手だった。もしも彼女と僕が隣り合うアパートに住んでいたら、僕と彼女は付き合っていたかもしれないしそうしなかったかもしれないけれど、もしも彼女と僕が隣り合うアパートに住んでいたら、新しい総理大臣は河野太郎だったかもしれないし、パンダのしっぽは黒かったかもしれない。そういったことがいったい何の意味を持つというのか?

 その夜、僕は彼女と寝た。彼女はそれが初めてだった。ことを終えると彼女はおもむろに身支度を始めた。

 「終電ならもうないよ」
 「いいのよ」
 「そう、気をつけて」

 彼女は黙って荷物をまとめていた。僕は黙って彼女を眺めていた。

 部屋を出る前に、彼女が部屋代と言って数枚の紙幣を机に置いた。断るよりも先に彼女が言った。

 「高校のとき、あなたのことが好きだったのよ」

 それだけ言い残して彼女は部屋を出ていった。それが彼女と僕のピロートークだった。彼女との最初で最後のピロートークだった。