林檎と蝶

 ブログを書くことにした。理由は二つある。一つには、悪い文章、あるいは(より自負を持って)良くない文章を書くことに慣れるためである。

 文章を書こうとすればどうしてもいきなり良い文章を書こうとしてしまう。これが人間一般に当てはまることなのかわからないが、少なくとも僕の癖である。そしてそれは悪い癖である、と僕は考えている。「初めから完璧な文章を書くことはできない。初めから完璧な文章を書こうとすることは、文章を書くことをやめてしまうことと同義である」というのを好きな小説家が言っていた。ブログなら、気楽な気持ちで書けるのではないかという気がする。「習作」というブログ名にしたのもそういった経緯からである。

 そしてもう一つの理由だが、こちらはやや込み入っていて、うまく説明できるかいまいち自信がない。しかしうまくない説明でも書くべきだ、というのがこのブログのそもそもの趣旨だったわけだから、やはり説明しなければならないだろう。

 先日、かつて中学校の同級生だった女子のブログを見つけた。家族の日常の記録、というのがそのおおよその内容だった。彼女はすでに結婚していて、子どもがいた。もちろん、これがただの元同級生の何の変哲もないブログだったとしたら、僕は今こうしてこの文章を書いてはいない。

 蝶の絵文字と林檎の絵文字が記事の最後にあった。最初に目を通した記事にそれらがあったせいで、僕は二十以上の記事を漁って、そのすべてで共通して使われていることを確認した。「おやすみなさい」や「ありがとうございました」のような挨拶に続く場合もあれば、絵文字二つからなる段落が最後に置かれている場合もあった。

 蝶と林檎の絵文字、それは僕と彼女が互いを愛していた時に使ったものである。

 中学生の恋愛が愛と呼べるかどうかについては、僕はかなり懐疑派に属するが、僕と彼女は間違いなく愛し合っていたのだと思う。しかしその頃、僕と彼女はクラスにおいていじめられる立場にあった。そしてその立場にあるということは、自由に恋愛できないことを含意していた。ここらへんの事情については本題ではないので詳しくは話さないが、中学校ではそういった非人道的なヒエラルキーがあることを理解してほしい。とにかく、僕と彼女は白昼堂々と付き合うわけにはいかなかったのである。

 当時はまだスマートフォンも普及しておらず、連絡手段といえばメールだった。それで、僕と彼女は頻繁にメールを交わした。これまた上記の事情から、メールは上位ヒエラルキーに属する者にほとんど監視されていて、色恋沙汰が判明しようものなら晒し者にされるのがオチであった。少年と少女が二つの未熟な頭脳をフルにはたらかせて編み出した解決法は、秘密の合言葉である。彼女は文末に林檎の絵文字、僕は文末に蝶の絵文字をつけることで、愛情表現の代わりとしていた。林檎と蝶というチョイスは、彼女と僕の名前に由来していた。少なくとも僕らの中学校ではメールの末尾に絵文字をつけることは一種の流行だったので、怪しまれる危険性はほとんどなかった。

 その絵文字を、十年近く経った今、彼女が使っている。そのことが僕を混乱させる。彼女は何かの意図を持っていいるかもしれないし、すべては僕の考えすぎかもしれない。

 彼女と別れたのは高校進学のために僕が引っ越しをする際だった。「元気でいてね」と彼女は泣いていた。「林檎と蝶はいつまでも二人だけの合言葉」という約束を、僕たちは何度も繰り返した。

 彼女と最後に会ったのは成人式の式典のことだった。「元気?」と尋ねられて、そうだと答えると、「そう、よかった」と彼女は笑っていた。林檎と蝶のことをそれとなく仄めかしたら、「なにそれ」というあっけない返事だけがあって、話はそれ以上膨らまなかった。

 何もかも気のせいだと割り切ることができれば、あるいは思い切って彼女に連絡することができれば、僕はやはり今この文章を書いてはいないだろう。その中間拓として、ビーフ・オア・チキンで迷いに迷った結果フィッシュを選ぶように、僕ははてなブログのアカウントを開設するという選択をした。

 というようなわけがあって、僕はブログを書くことにした。